2015.7.24金
『僕らの民主主義なんだぜ(高橋源一郎)』から学ぶ
・冷たい世界でぼくたちはもがいている
「眼前に切実な問題や事件、あるいは社会現象が次々に起こっている場合に、それを<緊急の課題>と考える、あるいはこれは<永遠の課題>なのだと考える、どちらの考え方を取っても、ダメなのではないか(吉本隆明)」
<緊急の課題>、<永遠の課題>どちらの視点を欠いても、ぼくたちは現実を見失う。
・ぼくたちの家族はどこに?一から創り出すということ
「ポピュリズムの最も根源的な定義」が「人々の創造」(自分が何者なのかわからない人々に、例えば、「あなたはマイノリティ」だと告げ知らせること)であるなら、いま必要なのは、それを批判することよりも、新しい共同性を創造すること、新しい意味を持った「人々」を創り出すことなのではないか。
目の前の忘れられた人々の「家族」になる。彼らの思いを「代弁」し、受け止める。それはいわゆるポピュラリズムの政治家なのか、それとも松本たちなのか。その戦いが、いま始まっている。
何もかも一から創り出すしかないのである。政治も「家族」も言葉も。そこにしか未来はないのである。
・社会を作ることは楽しい
「デモで社会は変わるのか?」という質問に対して、柄谷行人はこう答えた。
「デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ」この回答は、質問者の想定する回答よりも「本質的」な答えを返している。
「デモで社会は変わるのか?」の質問の前提に、「デモでは社会は変わらない」と思っているからではないだろうか。「代議制民主主義の社会だから、選挙によってでしか変わらない」と思っているのだろう。しかし、「人がデモをする社会」というのは、人々が自分の意見、意志を表明できる社会であるということである。自分の考えていることや思っていること、不平不満が自由に表現できる社会に変わることが、人がデモをする社会によってもたらされる社会ではないだろうか。
・被害者の度量、加害者の慎しみ
日本の慰安婦問題について、「強制性」があったかどうかが議論の争点となっているが、その裏側には、当時の社旗事情の中で「慰安所」の設置そのものは否定できないという考え方がある。しかし、アメリカでは建国の頃、奴隷制が受容されてたのだから、歴史的には奴隷制は当然の制度だという議論は、いまのアメリカでは全く受け入れられない。過去は常に現在からの審判に向かいあわなばならないのだ。その考え方によれば、狭義の「強制」がなくとも、国や社会が結果として、弱い立場の女性に性的な奉仕を敷いたなら、それは「人道に対する罪」なのである。
人は何か戦おうとして、時に、それと気づかぬうちに、攻撃している相手と同じことをしている。
・選ぶのはキミだ、決めるのはキミだ、考えるのはキミだ
「インテリジェンス」、「知性」=「対話のできる能力」
・大きな力に立ち向かおう
原発というのは、最悪の場合に誰かに死んでもらう命令を出さなければならないものであり、日本にその仕組みがないことが問題である。
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